みやけ雪子タイトル

2019年05月15日

安倍晋太郎氏とソ連(ロシア)

日ソ国交回復以後の日ソ・日露関係主要事項年表
1990年の「自民党代表団」は安倍晋太郎外相(安倍総理の父)が団長だった・
安倍元外相の最後の訪問となる。(1991年5月15日逝去)
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日ソ国交回復以後の日ソ・日露関係主要事項年表
1990年の「自民党代表団」は安倍晋太郎外相(安倍総理の父)が団長だった・
安倍元外相の最後の訪問となる。(1991年5月15日逝去)


1990年- 1月15日、自民党代表団(団長・安倍晋太郎元外相・前自民党幹事長)はゴルバチョフソ連共産党書記長と会談。安倍・ゴルバチョフ両氏は「日ソ間の困難な問題である領土問題を『叡智をもって解決する』」と合意。安倍8項目提案を受諾。1991年「桜の咲くころ」の訪日を約束。

安倍晋太郎氏の功績は、この約束を遂行させたこと。1991年4月に ロシア・ソ連の最高指導者として初めてゴルバチョフ大統領は日本を訪問した。ゴルバチョフ大統領は安倍晋太郎氏に「約束を果たしましたよ」と述べた。

それは安倍晋太郎氏が癌で亡くなる僅か1ヶ月前だった。癌はそうとうに悪化していたが、は安倍晋太郎氏は病をおしてゴルバチョフ大統領に会った。最後の表舞台となった。安倍晋太郎外交はもっと評価されるべき。

丸山議員は当然だがロシアを怒らせた。先人たち、安倍総理の父の安倍晋太郎氏らの努力を無にするような暴言政治家は国会から退場だ。

(補足)


このゴルバチョフの来日の記述は.wikipediaはたぶん間違っている。時系列が違う。外務省の文書では ゴルバチョフ大統領の訪日(日ソ首脳会談)は1991年の4月16日から19日のはずだ。(外務省関係者の方直してください)

こんな記事も。
なぜ安倍首相にとってロシアはこんなに「特別な存在」なのか~
安倍一族とロシアの長い歴史  麻田 雅文

「この「命を削りながらもしっかりと国民のために奉仕をする」父の姿が、政治家としての原点だと、2015年9月に安倍首相は国会で答弁している」


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