みやけ雪子タイトル

日付別アーカイブ » 2011年5月 2日の記事

  2011.05.02
健全なチェック機能とは

原子力を推進する資源エネルギー庁と、監督する・監視する原子力安全・保安院がなぜ同じ経産省の外局なんだろう。
こういう不思議なことは、事故が起きて、問題が起きて初めて気がつきます。
どんな場合でも、監視機関は完全別組織が所管し、当該関係者でない、専門家で構成されるべきではないだろうか。しかし、結局は御用学者・関係者ばかりになってしまうのが実情です。

話は少し逸れますが、政府の多くの審議会(一体いくつあるんでしょう)の委員を選ぶのに、私たち政治家(執行部除く)は関与できません。(推薦ぐらいはできる場合も)官邸の中で決められ、時にはその審議会のメンバーが、私たちが部門会議なので議論した内容と違う結論を出し、政府のお墨付きで新聞でその事実が発表されることさえあります。審議会の類の在り方はぜひ今後改善して欲しいことの一つ。あくまでも参考意見を取りまとめる場にして、その内容を部門会議にフイードバック、それを踏まえ議論をする。政治主導をうたっている民主党なのだからそうあるべきだと思います。

  2011.05.02
おはようございます

夫が朝食を作ってくれ、薬を飲み、腰を温めています。
と書くと何もしない主婦のようで人聞きが悪いですが、私が介護の必要な状態だからです。

だんだん、コルセットをはずして歩ける距離が短くなってきました。会館のエスカレーターや動く歩道が止まっているのは節電のためですが、障がいがある方はつらいだろうな、というのは身を持って感じます。怪我をして、色々なことがわかり、障がい者行政をライフワークにしている私にはためになる経験になっています。今まで気がつかなかったこと、見えなかったことが、まだまだ不十分ですが、わかってきました。怪我一つでも前向きにとれることができるようになりました。

やはり、医師のアドバイスには従わなければいけなかたったと心から反省。5か月経って悪化しているなんてあってはならないことです。
退院後の一カ月に厚生労働の関係の方から頂いた遠方での講演のお話、自分が行きたかったのもありましたが、障がい者関係を扱う事務局に入りたかった私は、周囲の制止を振り切り、出掛けていきました。今にして思うと、一番安静にしなければいけない時期に、毎日の駅立ちを含め、無茶をしすぎました。これはすべて自己責任。

転落は、それに至る出来事があったにせよ、自分の不注意であり、なんの言い訳もできないことです。ですから、もう『痛い』という言葉は書きません。仕事には支障をきたしていないので、少し会議には遅れることはありますが(歩くのが遅いため)、これからも頑張っていきます。

最近、長妻さんの『闘う政治』をいまさらですが読み、野党の時代の民主党の輝き、長妻さんはもちろんですが、馬淵さんのさっそうとした偽装耐震の追及などを思い返しています。政治が、しかも野党が変えれるんだと思ったのも今の自分があるきっかけです。野党時代ではありませんが、(連立政権下の)菅さんの薬害エイズにも影響を受けました。そんな民主党が今100%党の良さを出せていると思えないのは残念ですが、長妻さんの『招かれざる大臣』、岩淵美智子さんの『政治学の授業』の山井前厚生労働大臣政務官のパートを読んで頂けると、本当に多くのことが厚生労働の分野で民主党政権になって変わったことがわかります。そういう意味で、民主党は決して必要以上に卑下はすることはないと思います。これからも、震災復興においては雇用をはじめ、厚生労働が担う部分は大きく、これまで以上に全員一丸となって頑張らなければ。

  2011.05.02
今日、思ったこと

政治家の家には育ちましたが、まったく政治の道には興味がなかった私。

10数年前、一度出馬のお話を頂いた時もお断りをし、その後テレビ局で21年間なんの疑問も抱かずそれなりに充実した日々を送っていました。しかし、年月が経つにつれ、自分の中に表現しようがない違和感が芽生えてきて、自分の天職はなんだんだろと考えることが多くなってきたのです。このままで私の人生はいいのだろうか・・・。

街中で困った人がいても通り過ぎていく人たち、マンションで挨拶も交わさない一部の住民、平気で路上にゴミを捨てる若者、孤独死する高齢者、家族で殺し合う事件の多発・・・。
どんどん削られる社会保障費・・・。

それらに、ひどく心を痛める自分がいて、このことに何もしないでいいのだろうかと考えるようになったのです。
そんな時、まるで私の気持ちを見透かしたように声をかけてくださった小沢元代表。
そして誰もが不可能と思った群馬4区での当選。
比例復活でしたが、初めての民主党の議席でした。2009年、政権交代が実現し、2011年、1000年に一度の震災が起こりました。

菅総理が宿命と言ってご批判を受けていますが、そう感じた議員もいたのではないのでしょうか?この復興を成し遂げるまでには、私たちは政権を譲り渡してはいけない、それだけは強く思っています。しがらみのない私たちだからできることがある。1000年に一度の震災の経験がないのは他の党も同じ。特に原発の問題は、60年放置していた党には決して再び任せてはいけないのです。我が党の中にも意見の相違など問題はあります。これらは速やかに解決し、被災地の復興をさらにスピードアップし、未来を担う子どもたちを守る政策をすぐに実行に移さなければなりません。

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